2019/11/27:雑記
星合の空:第6話
:強豪校と戦うのはいいとして、1セットでも通用する(勝つ)必要はあったんだろうか?
部活を怠けていた生徒たちが、メンター(指導役)が入った程度で追いつけるだろうか?
そもそも「ソフトテニスの実力が向上する描写」は本作のテーマに即しているか?
:バッタの舞に「嘘っぽい」と感じるのはなぜか?
自身にそういった体験がないから、リアリティがないのか?
現代のリアルな中学生(運動部に所属)を知らないからそう感じるのか?
キャラの日常描写に「幼い」演出が足りていないせいか?
→マキの父親に対する態度、対応など幼い描写は多々登場しているが…
全体的に子どもたちが世間、大人に対してシニカルすぎるのか(大人びている)
:アラシ(敵のエース)にリアリティがない
キャラというより、人柄の良さそうな監督が、あの態度を放置している違和感
監督自体がクズっぽければ問題はない(あだち充作品でよく登場する悪役監督と悪役エース)
:まるまる1話使ってテニスの話で良かったのか?
本作品のテーマはいったいなにか?
メンタルの変化(成長だけとは限らない)を描かればいいのであって、
テニスはその装置に過ぎなかったのでは?
→マキと男子生徒たちとの交流(絆)を描くためには、試合描写が必要だった?
→アクセントとして使えばいいのであって「テニスアニメ」としての体裁を重視する必要はないのでは
→「ソフトテニスを交えた人間関係」を描くことに意味がある?(隠されている?)
:アラシがボールの返し先を探す様子を「カメラの振り方」で演出するのは良かった
→「エースを狙え」でもやってるかも?
→とはいえ「主観視点」により臨場感と一体感が出て、アラシのすごさがダイレクトに伝わった
:カナコ(もじゃっ毛女子)は相当ステキキャラだが、テーマに活かされている感じがない
→マキとカナコのラブストーリーが見たかった…
→こじらせ女子との恋愛がみたい欲求
→性格が歪んでいて、それでいて小動物的な雰囲気がある
バビロン:第7話
:衝撃的な展開?
→アニメだと、ここまで残酷なのはレア
→グロテスクな描写自体は毎クール数本ある(はず)
→視聴者のメンタルをえぐってくるのはサイコパス1期以来?(そんなはないか)
→アニメにしては残酷だが、実写なら(映画なら)もっとエグくするだろう
目隠しと猿ぐつわは外したほうが悲鳴が聞こえてエグさが増す
→曲世愛が「悪を愛する女」であるなら、残酷さを減らすことは、キャラ設定との不一致を感じる
→とはいえ、これ以上やっても露悪的、悪趣味なだけか
:瀬黒さんが「剣道の有段者」である描写=身体的に優れている=軽やかで自由な少女のイメージを
与えてから最後の展開を持ってきたのはうまい展開だった
→蝶の羽根がもがれる如く、肉体的な死という事実だけでなく、視聴者のイメージを汚す演出
だからこそ、四肢を切断=行動不能=可能性の死という展開にする必要があった
:死ぬという結末は変わらないのに、過程(どのように死んだ、殺されたのか)によって感情移入の度合いが異なる
:野崎まど作品には「魅力的なのにいつのまにかフェードアウトする女性」が数多く登場する
なぜなら、それ以上に魅力的で不思議なメインヒロインが登場するから(メインヒロインは能力者か異常者が多い)
「バビロン」ではサブヒロインにフェードアウトではなく「残虐な消費」を与えた
ちなみにサブヒロインは「有能」「ツンデレ(デレてないかも)」「実直」「サポート役」という共通点がある