今日は「や」の気分

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【雑記】2019/12/22

東のエデン』第1話

 キャラデザがものすごく羽海野チカで、物語が頭に入ってこない。というのは言い過ぎなんだけど、羽海野チカ世界のキャラがコスプレというか、映画を撮っているというか、役作りをしている感じで、物語が「真実だ」という印象が薄れてしまう。

 羽海野チカのデザインが悪いのではなくて、羽海野チカのデザインをそのままアニメに持ってきたのがダメ…少なくとも自分はダメに感じてしまった。原案は羽海野チカでいいんだけど、アニメ用のキャラデザはもっと世界観のシリアス度合いにあわせて変えてしまってよかったのでは。お客さんも「羽海野チカの絵が動く!」なんてことは喜ばない気もするし。それは『ハチミツとクローバー』や『3月のライオン』で達成できていればいいのであって、オリジナルアニメで達成される必要はあったんだろうか。ていうか、誰が喜ぶのか。

 じゃあ、なぜ羽海野チカを選んだんだろう。一番「ええー?」と思うのは話題性。たとえば『3月のライオン』が売れていて、そもそも『ハチミツとクローバー』が売れていて、この人がキャラ原案となれば、相当数のファンを引っ張ってこれるに違いない、という良くないプロデュース。ファンベースを広げる、導入ハードルを下げる、女性からも見てもらえる、という点ではプロデュース方法は間違ってないけど、作品のクオリティには関係のない話。売れている少女漫画家をキャラ原案にすると、そのファンはついてくるのだろうか。志村貴子がキャラ原案を担当した『アルドノア・ゼロ』はどういうファンがついたのだろうか。

 さて、そろそろ当時のインタビュー記事を探してみよう。きっとキャラ原案に羽海野チカを選んだ理由が書いてあるはずだ。

(さがしちゅう…)

(みつからない…)

 みつからない、けれど公式サイトを見るに「あれ?」と思う。

https://juiz.jp/

 この絵だけを見るなら「羽海野チカ」っぽくないな、と感じる。邪推でしかないけれど「アニメのキャラ原案」という普段と違う仕事について真剣に向き合った結果「普段とちょっと違う画風」を目指したように感じる。パッと見の印象で『十二国記』などの挿絵を手掛けた(いや、この人については『ミスティック・アーク』の人と呼びたい)山田章博に近い塗り、テイストを感じる。古き良き海外童話的でありながら、和風の枯れを感じるというか。とにかく「目」について羽海野チカらしい「柔らかさ」や「優しさ」が抑えられているように感じる。ええと、つまり、すごく良い絵だと思う。

 なぜこのテイストでアニメ化しなかったのか…なぜアニメのキャラデザを「THE☆羽海野チカ」にしてしまったのか…せっかく原案で頑張っていたのに?まあ、勝手な妄想だけど。うーんもったいないなあ。もっと枯れた画作りにできたかもしれないのに。公式サイトの絵を作品全体のビジュアルにひっぱってこれたら、優しいのに悲しいというテイストになったかもしれないのに…ま、1話しか見てない人間が言うことではない。

 

 インタビュー記事は見つからなかった…過去に雑誌等でインタビューがあった形跡は発見したけど、さすがに本文は残ってない。ユリイカのバックナンバーとかで無いかな『東のエデン』特集とか。

 

サクラ大戦について

 買ってないのでやってない。けど、開発経緯とコンセプトが気になるから調べておこう。

https://dengekionline.com/articles/16919/

電撃プレイステーションの名越さんへのインタビュー。

サクラ大戦』がいまだに根強いファンが多いIPだから

 

作るとすれば、新しいファンを取り込めるような作品にしたい

 

旧来のファンに対して刺さるものをどのように作ればいいのかというのは、あまり理解していない

 

既存のファンに向けただけの作品になると、セールスもある程度は見えてしまいますし、

 

逆にぶち壊す部分をどのくらいまで許容できるならば作ってもいいのかなと

 

要素を加えることはいくらでも加えられますが、まずは加える前に変えるものから決めなくては

 

1つ1つ“『サクラ大戦』らしいもの”“『サクラ大戦』らしいけど変えるべきもの”という形でタグ付けした

 

龍が如く』シリーズでは長くアクションを手掛けていて、『新サクラ大戦』も人型のアクションゲームであるといえばそうですし

 

「やっぱり『サクラ大戦』ってこうじゃない?」と、決めつけた誰かが徐々に舵を切り始めて、方向が従来のものに戻りがち

 

賛否はあったと思いますが、基本的には受け入れてもらえたと思います

 

従来のバトルシステムに『サクラ大戦』らしさを感じていた方が、思ったよりもいなかった印象

 

いろいろな作家さんを受け入れたり、多彩な設定を受け入れたりとか、その要素をずいぶん昔から持っている作品

 

いろいろと変えましたが、根っこの部分は変わっていないわけです

 

「『ペルソナ』がおもしろい」が広まったから『ペルソナ5』が売れた

 

それと同じで「『サクラ大戦』がおもしろい」という、短い動機付けがたくさんの人に伝播していくことが、今の一番の願い

  ほうほう、なるほど。新旧両方のファンに売りたいという思いがありつつも、「新規ファンの獲得」に舵を切ったわけか。旧作ファンの期待値を下回らないように、守るべきところは守り、攻める(変える)べきところはずんずん変えていくのだ、と。

 難しいな、自分ならどうしただろう。

 旧作ファンだけが喜ぶタイトルを目指すだろう。ただし「魂」以外は考え直す、という感じで。新規ファンはゲームを販売するまでは姿かたちが見えないけど、旧作のファンは見える。シリーズの名前を冠するなら、そのファンたちが「これだよ、これ」と大喜びするタイトルを目指す。そしてゲームとして「めっちゃ面白い」内容であれば、自ずと新規もついてくる。

 いや、面白いだけじゃダメだ。遊ぶ前から「買う価値がある」と伝えないと、初動が弱い。初動が弱いとジワ売れになってしまう。日本の場合はジワ売れは本当にジワ売れなので、続くプロジェクトに影響が出てしまう。

 遊ぶ前から「買う価値」があるように思わせるには宣伝、つまりプロモが重要。「あのサクラ大戦が復活」というだけではキャッチーさにかけるので「よく知らないけどこのゲーム面白そう」と思わせる必要がある…から『新サクラ大戦』は戦闘部分を「アクションゲーム」にしたのだろうか。シミュレーションゲームの購入層はアクションゲームの購入層に比べると少ないし、最初から間口を狭くする方向は避けたのだろう。

 うーん、その時点で旧作ファンからすると「変えてはならない部分」なんだよな…でも、似たような始動だった『戦場のヴァルキュリア4』の売上が芳しくなかったことを踏まえると、アクションゲーム化は成功だったのかもしれない。

 でも、違うんだ。サクラ大戦シミュレーションゲームじゃないんだ。戦闘だけに限って言うと『サクラ大戦3ゲーム』なんだ。『サクラ大戦3』で完成した「自由に歩ける戦術バトル」はとても良くできたシステムだった。そして「誰でもクリアできる難易度」も重要で、バトルパートが味付けではあるものの「遊んでいて楽しさしかない絶妙な味付け」だった。

 サクラ大戦は「アドベンチャーゲームシミュレーションゲーム」というように、2種類のジャンルが独立して存在しているように揶揄されるけれど、実際は「キャラクターたちと行動を共にする隊長シミュレーター」としては、両方のジャンルを混ぜることで達成されていた、とても優れたブレンドだった。確かに「アドベンチャーゲームシミュレーションゲーム」だった。

 そう、サクラ大戦のコンセプトは「太正桜に浪漫の嵐!」というだけでなく「太正浪漫溢れる隊長奮闘記」だった、と思う。遊んでいる時「自分は大神隊長として、この世界に入り込んでいる」と錯覚できた。このコンセプトだったから、隊員の気持ちを探ってケアしようと考えるし、戦いにおいても帝都と隊員を守ろうと試行錯誤した。

 『新サクラ大戦』はこのコンセプトを守っていたのだろうか。買ってないから分からないけど…「隊長の奮闘」を表現するためにアクションゲームというジャンルを選んだだろうか。というか、こういう考え方が「サクラ大戦はこうじゃないとダメ」という古い考え方なんだろうけど…さ。

 とかうだうだ考えるのは、ペルソナ3の開発経緯に比べると、あまりに旧来のファンを軽視して、マーケベースになっている気がしたから。

https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/191030a/2

 ペルソナ3のディレクターである橋野桂さんへのインタビューだけど、発想の手順がとても正しい。自身が腑に落ちるまで徹底的に考え、咀嚼し、自分なりの形に落とし込む。幅広いユーザーに向けるために「キャッチーな記号」でデコレーションする前に(最終的にはデコレーションは重要)根幹部分で「誰もが共感できるものとは」と追求している。

 それはペルソナだからできたことだろうか。サクラ大戦という枠組みでは、そもそも無理難題なんだろうか。「人はなぜ生きるのか」というテーマは、あらゆる人間にとって価値を持つ問いかけだ。サクラ大戦は「なぜ少女たちは平穏を捨てて戦うのか」というテーマが存在していた。最初は「能力を持ってしまったから」「死に場所を探して」「なんとなく」だったものが、帝国華撃団での生活(プレイヤーとの!)の中で意味を発見していく。「人はなぜ生きるのか」「愛する者たちのためだ」という回答は確かに陳腐かもしれないけれど、力強い返答だった。そして、サクラ大戦シリーズは物語の終盤で帝国華撃団を危機に陥れ大神隊長に「なぜがんばるのか」と問いかけてきた。それに対してユーザーは「愛する者たちのためだ」と恥ずかしながらも胸に秘めた思いを敵の大将に対して告げていた。このストレートで泥臭い体験が、サクラ大戦というゲームを名作にした根底だと思う。広井王子あかほりさとるだからこそ生み出せた「王道」の心地よさだ。

 うーん…といっても、これはプレイしないと分からない部分だよな…これだけじゃ売れない…。コンセプトは「隊長奮闘記」でありつつ、一見して購入したくなるキャッチーさを付けられないものか。士官学校から始めるとか、学生生活にしてみるのはどうだろう。つまりペルソナ化するということ。軌跡シリーズもそちらに舵を切っている。でも、そうすると『戦場のヴァルキュリア』になって、それじゃ売れないのか。とはいえ、ヴァルキュリアは「架空戦記」というフォーマットなので、ユーザー層を狭めてるんだよな…ミリタリー色が強くて、面白いけどファン層が狭い。じゃあ「大正時代シミュレーター」という方向はどうだろう。グランドセフトオートとはいかないまでも『L.Aノワール』くらい(わーお、大変だ)の広げ方で…。

 大正時代シミュ✕隊長奮闘記にして、ペルソナのように1年を通して隊員や街の人々との絆を深めていく。もちろん、大正時代ならではの遊び、ベーゴマや活動写真、ブリキ製玩具や…これは明治時代か?『大正野球娘』が好きなんだよな(小説版)…ああいう洋食屋や野球とか…おお、遊びたくなってきた。

 

 『新サクラ大戦』…買わないとだな。