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【感想】【小説】『ミニッツ〜一分間の絶対時間〜』

ミニッツ ~一分間の絶対時間~ (電撃文庫)

ミニッツ ~一分間の絶対時間~ (電撃文庫)

 ネタバレアンド「あんまおもんない」という感想をつらつらと。でも、こうなった理由が作者だけのせいとも思えず、いろいろ妄想してみたり。

 「一分間だけ相手の思考を読み取れる能力を持った主人公が、その力を駆使して生徒会長を目指す」というお話。ここだけ読むとコードギアスっぽい、あるいはデスノートっぽい頭脳戦を期待する。圧倒的な力を持つライバルか、あるいは同じような力を持った多数の人々か、あるいは俺つえーなのか。序章から受けるワクワク展開はそんなところ。

 事実、ヒロインのハルカとの勝負は「天才と馬鹿ゲーム」といういかにもカイジ的というか賭け狂いましょうなネーミング。そのあとの描写も、まあ期待に沿って描かれる。うむ、よいよ。

 なのに、急に物語がシリアスな方向に切り替わり、さらには超常能力バトル(バトルは言い過ぎか)になって終わる。なんと、終わってしまう。生徒会長どこいった。

 この読了感は覚えがある。面白いらしいと聞いて読んだ涼宮ハルヒの一巻か、あるいは谷川流の絶望系閉じられた世界だっただろうか。電撃イージス5は面白かった。古橋秀之シスマゲドンみたいな楽しさ。

 ハルヒの場合は物語のトーンとやってることに統一感があるので「思ったよりこじんまりしていたな」と肩透かしではあったものの、ミニッツのように「あれれ」という気分にはならなかった。

 あとがきを見るに、作者としてはやりきった感じで、すごく嬉しそうではあるけれど、なんだか妙にハイテンション。そりゃ受賞したからさ、とも思うけど。

 さて、ここからは完全に妄想。

 作者は「主人公が生徒会長になる」までを描いて投稿したんじゃなかろうか。そりゃ「特殊能力を用いた頭脳下剋上バトル」というコンセプトなら、その達成=生徒会長になるまでを描くのが普通。じゃあ、なんで描いていないのか。それはミニッツが続刊していることから推測する。

 つまり、編集部が
「おもしろいね!売れるよ!ていうか売ろう!とりあえず四巻まで出そう!」
「え、四巻ですか?嬉しいですけど、展開が間延びするんじゃ」
「このままじゃそうだね、だからヒロインを追加しよう。ギャルは必須だよね!」
「ギャルですか?頭脳戦に似合わない気が」
「だったらホントは賢いのに隠してるワケアリギャルにしよう!髪は金髪でいいよね?」
「いや、金髪にするとちょっと目立ちすぎるので…」
「(よし、追加を前提に話し始めたぞ)じゃあ黒髪でいいよ!クール系ギャルも人気だしね!」
「クールにするとハルカと被っちゃうので…」
「あ、そう!?じゃ、まかせるよ。ただし、エロくしておいてね!エロくないギャルとか存在価値皆無だから!」

 …のような?

 四巻はさておき、続刊を前提とした場合、ひとつひとつの巻で描かれる内容はコンセプトに対して薄味になる。色々なエピソードを詰め込んでも、クリティカルな出来事(物語全体を前進させてしまう)は挿入できない。薄味をごまかすためには、セカンドコンセプトを使うしかない。つまり「人間的に問題のある主人公が改善される」だ。改善のためには周囲の人々とのコミュニケーションが重要になる。ここに「周囲の人々も人間的に問題がある」としておけば、恋愛ものとしてたくさんのエピソードを追加できるし、ミニッツ能力を使って「ゲーム型攻略」が実現可能になる。

 とはいえ、だ。「特殊能力に目覚めた主人公による下剋上」なら、まず最下層まで落としてから能力を得て、そこから這い上がる物語にするのがセオリーだ。ミニッツでは主人公は既に一般生徒としては、上位ヒエラルキーに位置する。ミニッツ能力は使っているものの、根本的な頭の良さと人間観察力により昇りつめている。主人公は出自の不幸さはあるものの「生き抜くために能力を使う」というサバイバル精神には欠けているわけだ。であれば、コンセプトの消化方法が下手、ということになり、ミニッツという作品の出来の悪さ…いや、文章は上手いし、読んでいてそこまで不快感はないので、出来が悪いわけでは無い。

 ミニッツという作品の座りの悪さは、作者自身の「描きたいことはなんなのか」が突き詰められて考えられておらず、さらには編集の魔の手が伸びたことになるだろうか。

 こうして見ると『神のみぞ知るセカイ』は作者の頭の中が整理されており、本当に良くできた作品だったと思う。

 もしかして、主人公にミニッツ能力が無いほうが面白かったのかもしれない(作品の根幹を破壊する提案)