【感想】【ゲーム】Slay The Spire
概要
開発経緯
1:与えるダメージと被るダメージが計算できる
2:相手の行動が提示されている
3:ゲームに習熟しやすいように調整されている
4:フレーバーテキストが面白い
5:手触りが良い
6:安いよ!
おわりに
【感想】『星合の空』第四話
なんとなく好き
なんとなく、見始めたら、できが良い。
赤根監督が担当しているというのはうっすら知っていたものの、まさか脚本まで担当しているとは思いますまい。
監督と脚本を兼任しているということは、作品全体の「空気感」と「テンポ(間)」が統一されるということ。
見て「あ、これ気持ちいいな」と感じられたら、そのまま最後まで突っ走れる。
このあたりは生理的なものなので。
どうして好きなんだろう
キャラデザが好き。
この手の「線をちょんちょん」と付け足して目尻を表現している絵が好き。
今では当たり前の処理だけど、初めて目にしたのは宇木敦哉(ウキアツヤ=イラストレーターのmebae)の作品である『センコロール』だった。
だからイラストを担当している『AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜』も好き。
いや、あれは作者が田中ロミオ(山田一)だからってことが大きいけど。
どうして好きなんだろう2
やっぱり空気感とテンポ。
あだち充が好きだったり、高橋留美子が好きだったり、石黒正数が好きだったりするのはシナリオもさることながら、やっぱり空気感とテンポ。
これは生理的なものなので…(2回目)
じゃあ、具体的にはどういうところか。
「余裕がある」
「余白がある」
「想像にゆだねる」
「なんとなく通じる」
「仲いいねえ、君たち」
という感覚だろうか。
製作者が自分の好みを把握していて、だからこそ「余計で必要な間」を付け足すことができている。画(絵ではなく、構図、レイアウト)に乗せられる会話という情報は、確かに物語を推進するための情報ではあるけれど、それをどう伝えるのか=表現、ここに作者の本質が如実ににょにょにょと溢れたり滲み出たりする。
つまり、作者が優れているからこそ、余裕があり、その余裕が物語運びだったり演出だったりに現れている。
それが気持ちいいんだな~。
『星合の空』は結構しゃべるシーンが多いとはいえ「必要な情報」というよりは「必要なリアクション」や「親しみを覚えるリアクション」が多いと感じる。
シチュエーションに対してキャラクターがぽろぽろとリアクションを返してくれるものだから、思わずにこにこして見入ってしまう。それに、セリフ運びがキレイ。
もちろん、虐待関係のツライシーンだと、感情移入してしまって見ている方もシンドイ…けど、それが監督の狙いだろうし我慢しよう。
リアクションか…やっぱりそうだな『彼方のアストラ』でも書いたけど、良いキャラクターは良いリアクションをするし、良いリアクションが良いキャラクターを形作るよな…。
「キャラが立っている」というのは単に「個性的」ということではなくて「良いリアクションをする」ということなのかもしれない。
『本好きの下剋上』のマインにしても、個性的かと言われればそうではないけれど、リアクションが面白くて親しみを覚えてしまう。(WEB版=なろう版のほうが心情が描かれる分、リアクションに親しみを持てるかな)
リアルとリアリティ
リアル=リアルである(現実の再現度が高い)
リアリティ=リアルだと感じる(それっぽい、嘘だと感じない)
ということだけど(自分の中での基準は)『星合の空』はリアリティが高い。
…と書くと「都合のよい脚本だー」「こんな中学生いないぞー」と反論は来る…のだろうか。
まあ、誰かと論じているわけでもない。個人的なメモなのだ…。
リアリティを感じる原因は「監督が嘘をコントロールできているから」に尽きる。
宮崎駿も言ってたけど(確か「出発点」という本)嘘をいかに嘘だと思わせないかがアニメーションの肝だと。
そりゃー、アニメって嘘だもの!
絵が動いているだけだもの!
けど、そこに魂(アニマ)が宿っていると「錯覚」するのがアニメーション!
リアリティが高い=魂が宿っていると感じる、ならば『星合の空』は結構高いぞ、このレベル。魂宿ってる。
なんでだろ、と。
理由の1つがソフトテニスのシーン。
『坂道のアポロン』の演奏シーンや『ピアノの森』の演奏シーンに通ずるものがあるぞ、これは。
何が言いたいのか。
おそらくは実写動画を参考にした丁寧な作画(CGベースかもね)で、ソフトテニスシーンを見ているだけで気持ちがいい。
この「気持ちがいいシーン」が適度に挿入されることで、キャラクターたちが「その場にいる」感じ、ええと存在感が増していて、それ以外のシーンでも「このキャラたち…いるぞ!生きてるぞ!」と感じられる。
丁寧な日常作画こそが作品全体のクオリティを上げるというのは日本のアニメーションのお家芸で、アクション主体の作品ではベクトルが違っていて目指しづらい作戦である。
これをちゃーんとやってるのがご存知スタジオジブリ。
とはいえ、スタジオジブリのおかげで、最近のアニメ作品はいずれも日常描写に手を抜かなくなってきている。
ジブリだけの功績ってのもフェアではないか。
あとは京都アニメーションだよね、やはり。
日常芝居は派手さは無いのに高コスト。
ここに注力するのは勇気がいるぞ。
理由のもう1つがレイアウト(画面の構図)なのかな。
具体的にはキャラクターと背景の配置の仕方。
「この作品にとって重要なことはなにか」
それを監督は問い続け、画面に映す。
『星合の空』にとって重要なことはなにか。
赤根監督はこう言っている
アニメーションで時代を写したい。ただ単に、今の時代の面白おかしい事柄だけではない、特に若い子たちが抱える苦しみや悩み、そういったものをちゃんと表現するアニメーションを作ってみたいという気持ちが強かった
現実的な世界で、自分のプライドとアイデンティティを保ちながら生きている少年たちのドラマを作りたい
まこと勝手な解釈ではありますが、このコメントを読んで思ったのが「空気、気分を切り取りたい、描きたい」という意図。
じゃあ、それを表現するレイアウトってなんだ?
登場人物が立っている場所はちゃんと映そう。
カメラは基本的にちょっと引き気味で全体像を映そう。
人間関係、それも敏感で感情的な中学生たちだから、姿勢や距離感は丁寧に描こう。
レイアウトで「場所×立ち位置×姿勢」を適切に描き、監督の意図を浸透させることで、描きたいドラマが滲み出てくる。
「監督の意図が表現されたレイアウト」
ここに気持ちよさを感じているのかもしれない。
都合の良いキャラクターと脚本?
そうかもなー、とは思う。
こんな中学生いないぞ、とか。
母親はなにやってんだ、とか。
親父の蛮行は通報されて即アウトだろ、とか。
これらの指摘というか、引っかかる人がいるのも理解できる。
けれど、自分としては気にならない。
なんでだろうかと考えると、やっぱり「空気感」が優れているから。
生理的に心地が良いから、批判的な視点で見たくない、という気持ちが先立つ。
そりゃ、批判しようと思えばできるんだけど、自分から自分を不快にさせても仕方がない。
んで、見終わった後は空気感も断絶されてるので、批判的な見方をしてもいいのだけど、やっぱり批判するほどの問題を感じていない。
監督が描きたいのは「どうしようもなく力のない僕らが、それでも諦めずにあがいてみた日常」だと思うので、それ以外の部分は最低限を超えていれば問題ではないと思う。
主題(テーマ)に対して、真摯に向かい合って、最低限のフォローを入れつつ、やりたいことはドカンとぶちかます、そういう作り方が好み。
好み好み…まあ、結局は好みなのかも。
エンディングのダンス
触れないのも嘘だな、ということで触れてみる。
といっても、外野が事実関係にわーわー言うのは誰に対しても失礼なので、アノ辺の話はしない。
演出と作画の話だけする。
このアニメでダンスというエンディングが適切だったかは不明だけど、キャラクターごとの性格差が分かるダンスという意図は面白い。
それに作画が面白い。
世間的には元ネタダンスをそのまんま採用した、という意見ばかりが聞こえるけれど、演出と作画意図はそこにはない。
まず、ベースとなる「ちゃんとしたダンス」を用意する。
(ここで、ちゃんとダンサーを雇っていれば幸せだったんだけど)
そのダンスを「ふくよかな生徒会長が完璧にこなす」というおかしさを演出のベースにする。
そこから「それぞれのキャラクターの個性に合わせた崩し方を見せて、キャラクターに親しみを感じさせる」ことが意図。
そう「崩す」のが大事。
「崩したダンス」は元のダンスにはない。
ここに担当アニメーターのやりたいこと、魂を込めた部分がある。
単純に「踊らせてみたっす」ではない。
「崩してみたよ!」
ここが作画担当者がものすごーく情熱を持って頑張ったところ。
崩したダンスなんて、普通はやらない。
疲れてヘトヘトのダンスなんて、ネット上で見ることはできない。
ダンスをすれば疲れる、人によって出来不出来がある。
そんな当たり前だけど、参考になる動画がなくて「脳内で作り上げるしかない動き」を狙いとして達成したのが『星合の空』のエンディング動画。
この部分が無視されて論じられているのは悔しい。
もしこのブログを読んでいる人がいたら、そういう見方でエンディングを見てほしい。
この「試み」についてはガンジガラメの事件とは別に、きちんと評価してほしいと感じる。
関連リンク
■監督インタビュー(コミックナタリー)
https://natalie.mu/comic/pp/hoshiai
■監督インタビュー(TBS関連サイト)
https://www.tbs.co.jp/anime/hoshiai/interview/
■監督「赤根和樹(アカネカズキ)」経歴
https://w.atwiki.jp/enshutsu/pages/298.html
【感想】映画『スター☆ティンクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』
「きらやば…」だった。
「キラやば〜!」
ではない。
前回の映画『ミラクルユニバース』はお金返して、という出来だったのに対し、今回は汚名返上、名誉挽回、逆転サヨナラ満塁ホームランだった。
アニメを鑑賞する際は「絵(作画・レイアウト)」「演出」「脚本」「音」で楽しむものだが、その全てが丁寧に作られていた。
特に作画は「キャラデザがそのまま動く!」というコンセプトなのかどうかは知らないけれど、一番丁寧に描かれた絵がそのまま動くという感じで、見ていて眼福、お金を払う価値のある内容だった。
冒頭が宇宙空間で、その後の舞台が沖縄ということもあるけれど、影を濃い目に乗せ、さらに丁寧に盛り付けることで、劇場版らしいリッチさと、キャラクターの立体感を生み出していた。
ギャグシーンではきちんとテンポを切り替えられていて、適当に入れる「子どもだまし」ではない。無理やり笑わせようとすると「情報」だけが伝わり、一番重要な「間」が損なわれる。今作はギャグシーンの意図を明確に持ち、演出も間を意識し、視聴者と一体感を得られるようになっていた。
スタプリ(長いので略します)のモチーフは「宇宙」だが、その裏には「歌とダンス」がある。テレビ本編では味付け程度で「なぜ歌うのか、なぜ踊るのか」は説明されない。
だが、今作では「明確な意味」がある。
歌わなければならないし、仲間と歌うからこそ気持ちが自然と盛り上がり踊りだす。
「誰かのために歌い、踊る」これが脚本に書かれ、演出が応えている。
テレビで流れる映画のCMと映画ダンスの切り取りは、狙いが外れていて失敗していると思うが、逆に成功につながっている。
CMを見た人は「世界中を旅するとか…散々宇宙を旅しておいてショボい」と思いそうだし、ネイチャー系の映像はどうしても教育的な側面があって、自然と身構えてしまう。真面目ぶりやがって…ウザ。という感じ。
切り取りダンスを見た人は「なーんだ、いつものCGね」と思うだろう。背景も「ただの海じゃん」で印象に残りづらい。
だが、この失敗が劇場で効いてくる。
目が覚める、と感じる。
同じ気持ちは映画「若おかみは小学生!」の冒頭に流れる神楽のシーンで味わった。
「地味」
「真面目」
「退屈」
という感情。
だが、今はあのシーンに涙せずにはいられない。
あの時間こそがもっとも尊い…いや、ここから先は本編を見てほしい。
話を戻そう。
スタプリの映画CMと切り取りダンスは、客引きとしては失敗、マイナス効果になっていると思う。
だが、劇場で見ると、あのシーンの意味を知り、全くもって無駄ではないことが分かる。
だから、CMとダンスを見て「見なくてもいいかな…」と判断した人こそが見に行ってほしい。
前言を覆すようで申し訳ないが、今回は作画が華麗だった。
特に華麗なのが「切り取りダンスにつながる直前のシーン」だ。
「歌い踊る」瞬間を最大限に「演出」するにはどうするか?
現代で「華やかに歌い踊る」のは誰か?
それは「アイドル」だ。
そして、極めつけは「ミュージックビデオ」だ。
プリキュアたちの想いが溢れ、それを華麗に演出した「切り取りダンス」につながるシーンは、演出者の「意図のために多少の細かいことは捨て去る」覚悟を感じた。
時には整合性よりも大事なことがある。
子ども向けの映画なら、なおさらだ。
すみません、今回はCGより作画のほうがキレイでした。
今作は敵が怖い。
純粋な悪党で、犯罪者だからだ。
登場シーンからして「ドラゴンボールか!」とツッコミたくなる凶悪感。
実際に戦闘が始まってからも「これ…クウラ(劇場版で登場したフリーザの兄)だわ」と言いたくなるくらい、シリアスなバトルが続く。
ちょっと子どもには怖すぎた気がしないでもないが、それに立ち向かうプリキュアたちの凄さ、勇気を描くのには役立っていた。
うーむ、それでもバーン星人は怖すぎる。
さて、色々と書き殴ったが、今作でもっとも褒め称えるシーン、というか言葉がある。
それが
「きらやば…」
だ。
「キラやば〜!」
ではない。
思わず漏れ出た真実の「きらやば…」。
キラ、ではない。
やば〜でもない。
ため息のように、ささやくように、自然と内から湧き出た「きらやば…」。
この狙いすました最高の演出と、それを演じきった声優に拍手を送りたい。
…。
あと、あれだ。
ユーマの「あの」姿。
脚本家は最高の仕事をした。
内容は全く異なるがドラえもんの「鉄人兵団」のラストシーンを思い出した。
とてもSFらしく、ファンタジックでエモーショナルなアイデアだった。
スタプリは宇宙が舞台。
つまりSFなのだから。
【彼方のアストラ】全話視聴後の感想
最後まで軸のブレなかった貴重な作品
作者の中で「やりたいこと」「できること」が明確に定義された上で作られた作品だと感じた。
作者は初期案がボツになった後、主人公をコミュ断ちタイプからリーダータイプへと変更したとインタビューで答えているので、試行錯誤はあったのだろう。
ただ、書きながら考えている作品ではなく、スタートからゴールまでプロットが練り終えた後に書かれたと想像させる完成度、整合性の高さだった。
確かに伏線が露骨だったり、都合の良い展開も多かったけれど、そこには意図がきちんとこめられており、丁寧に描かれていたから不快感は微塵もなかった。
テンポの良さがウリだが、少しテンポが早すぎた気はする。
ただ、これは物語を凝縮したアニメ版だからかもしれない。
漫画版は書店で購入する予定。
amazonで頼むより、書店で購入したい作品だった。
SFであるかどうか
「SFとはなんぞや?」を語るほど、ジャンルに精通していないので、言及は控える。
サイエンスフィクションであればSFなのでは、と思う程度なので「宇宙が舞台」「未来が舞台」であればSFだと思う。
「SFとして正しいか」と「物語として面白いか」は関係がないので、評価軸は別にしたほうがいいんだろうな、と思う。
「キャラクターたちが魅力的に描かれていたか」もまた別の評価軸だと思うし。
100点か0点かという評価は趣味ではない。
どこかの瞬間で満足感を覚えれば、見終わった後に微妙な気分だったとしても「自分の中に価値を残した」ということで、加点される。
この騒動?の中でとても嬉しかったのが『ロケットガール』などの作者である野尻抱介さんが(氏と書くのもなんだか)きちんと作品を褒めていたことだった。
ライトな小説もハードな小説もかき分けるSF作家界の大御所(といっても差し支えないはず)から評価されたというのは、作品のファンからすればとても誇らしいことだっただろう。
そういえば、綾辻行人さんもツイッターで「面白かった」と言っていたけれど、他の小説家や漫画家は視聴していたのだろうか。
キャラクターを描いた作品
『彼方のアストラ』が評価されたのは、丁寧に伏線を回収し、それを分かりやすく伝える構成力もさることながら、やはり「キャラクターの描き方」がもっとも評価されたところではないだろうか。
カナタやザック、キトリーといったキャラクターたちは、いずれもが設定だけを見るとパターン化されたオリジナリティのない(ない、は言い過ぎか)存在に見える。
けれど、彼ら彼女らが「事態について反応する(リアクション)」と、途端に血の通った愛すべき人物へと変化する。
視聴者が個別のリアクションと、それがキャラクター間で連鎖反応(交流)する様子を目にすると、手助けできない画面外の傍観者として、強い感情移入が発生する。
単にリアクションを起こせば感情移入できるというものではなく、作者が描く「地に足のついた現実味のあるリアクション」こそが、この感情移入を引き起こしている。
作者は前作『スケットダンス』にてギャグを豊富に披露した。
ギャグは読者の感情に問いかける高度な営みだ。
泣かせたいなら、大切な人間を殺せばいい。
怒らせたいなら、主人公の愛すべき人にヘドが出るような不幸をもたらせばいい。
しかし「笑い」となると、難しい。
読者のパーソナリティ(知識、モラル、環境、個体差)によって、面白いか面白くないかが分断されてしまう。
人を笑わせるためには「道具」として「相手が持つ日常」を利用するしかない。
「相手が持つ日常」を利用するには「相手(読者)のことを想像し、分析する」必要がある。
つまり、ギャグを知る人は客を知る人なのである。
だから、作者の篠原健太さんは、読者の日常=何を見せればどう感じるのかを研究している人だと想像できる。
作家と呼ばれる人がそういった性質を持つのだとしても、ギャグは特にリサーチが求められる。
まとめ
『彼方のアストラ』は言葉巧みに視聴者を誘導し、それを完了させた稀有な作品だ。
巧みさ故に反感を覚える可能性もあったが、根本にはストーリーではなく「キャラクターを丁寧に描く」ことが据えられているため、反感の機会は減少しているか、失われている。
非常にありがたいのが、作者の価値観について信頼がおけるため、今後どのような作品が発表されようとも、期待しかないということだ。
似た作家として石黒正数さんが挙げられる。
この作品をアニメ化しようと考え、尽力した人々。
そして監督と脚本家のお二方。
もちろん原作者に対しても、感謝の念しかない。
そして、悔しいなー。
こんなきちっと作られた作品って、珍しいんだよなー。
【彼方のアストラ】【感想】第七話『PAST』
あまりに面白い。
思わずオープニングを見直す。
初めてオープニングを見たときの「読みづらいな?」という違和感の正体はこれだったのか。
このふつふつと沸き上がる面白さ、最近で言えば『SHIROBAKO』『グリッドマン』、過去で言うなら『機動戦艦ナデシコ』だ。
一話の中でパッケージングが完成していて、クオリティが高い。
それが連なり、統合されて、全体を構成している。
全体像を俯瞰して作られた作品の強みがこれだ。
原作も優れているのだろうが、アニメスタッフの把握力、取捨選択能力も優れている。
伏線リンクチャートを作ったらその密度に驚きそうだ。
意識的だと思うが、毎話、複数の感情シーンを盛り込んでいる。
笑い、悲しみ、喜び、驚き、怒り、後悔…
ずっとシリアスなトーンで進むことはなく、ずっとコミカルなトーンで進むこともない。
5分ごとに、感情シーンが切り替わり、そのアップダウンに翻弄される。
メインシナリオの「どうなるんだろう?」という強い「ヒキ」に加えて、キャラクターたちの喜怒哀楽とコミュニケーションが混ざることで、常に視聴者の感情が刺激される。
見やすく、分かりやすく、謎めいていて、感情移入できて、好きになる。
良いゲームは、
・面白いこと
・分かりやすいこと
・興味が持続すること
・好きだと思えること
が必須要素だ。
ゲームに限らず「作品」と呼ばれるものはそうかもしれない。
(全てを超越した「崇高」という作品もあるけれど)
『彼方のアストラ』はこの全てを兼ね備えている。
おそらく、最後まで面白いままだろう。
アニメが最終話を迎えたあと、原作漫画の売上が一時的に伸びると思われる。それもかなり大幅に。
この作品は大切だ。
原作を早く買って読みたいが、それよりも先に「何も知らないまま最後まで見届けたい」という気持ちがある。
そして「全てを知ったあとで、原作を買おう」と思わせる力、親しみを覚える。
そう考えている視聴者は多いんじゃないだろうか。
今のアニメ業界では無理な売り方だが、全話収録して8000円くらいで売れば、かなりの売上がのぞめる気がする。
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以下、関連インタビュー(上から順番に読むのが良いです)
◆コミックナタリー
【マンガ大賞2019レポート】
https://natalie.mu/comic/news/324532
◆まなびや
【元アシスタントの「本城まなぶ」によるインタビュー】
https://manaboy.jp/manga/interview_shinohara.html
◆コミックナタリー
【アニメ放映を迎えての原作者:篠原健太✕監督:安藤正臣の対談】
https://natalie.mu/comic/pp/astra
『彼方のアストラ』を一層楽しむ方法
彼方のアストラとは
現在放映中のアニメ。
原作漫画があり、すでに完結している。
作者は篠原健太。ジャンプで連載していた『スケットダンス』が有名。
いわゆる藤子・F・不二雄をリスペクトした漫画家。
つまり、ちょっと不思議で牧歌的な側面がありつつ、シニカルで冷静な面のある作風。
作品に対して確かな筋書きとギミカルな構造を意識的に持っていて、
読んでいて構造・感情ともに破綻なく気持ちよく読める。
抑えきれない感情、意味不明な恐怖、圧倒的な描写…といったアーティスティックな
作風ではない。
まあ、めっちゃ適当に書いてますけど、この文。
あらすじはここでは書かない。(必要ならwikiを見ればいい)
宇宙モノのSFで、学生漂流モノで、シリアスとコメディが混在した作品だ。
少しでもSFに興味があるなら、1話を見るだけで引き込まれるはず。
あとは続けて最新話までどーぞ。
映画で『インターステラー』が好きなら、楽しめるはず。
アニメなら『バイファム』…はどうかな。
『リヴァイアス』…これも怪しい。
漫画なら『漂流教室』…ではないな。
ドラマなら『宇宙家族ロビンソン』が近いのだろうか(見たことない)
ゲームなら…ふはは『SUBNAUTICA(サブノーティカ)』である。
『SUBNAUTICA』とは
はるか彼方の未来、海洋惑星に墜落した主人公が、孤軍奮闘し惑星からの脱出を目指す…サバイバルSFアドベンチャーだ。そんなジャンルかは知らない。
steamで販売されており、圧倒的な高評価を得ているタイトルだ。
現在は続編のアーリーアクセス版(作成途中版)が販売・開発されている。
そういえば、エピック社(フォートナイトの会社だね…いや、アンリアルエンジンの会社だよ!)が
開始したサービス「エピックゲームストア」の初回無料配布タイトルが、
このサブノーティカだった記憶。
「このタイトルを無料で配ればお客が集まるぜ」とエピック社が思った…
のかは知らないけど、人気がある証拠ではある。
(これを書いていて初めてエピックゲームストアにアクセスしたが、
めっちゃオシャレなサイトだった…steamもっと頑張れ)
さて、サブノーティカ。
これがめちゃくちゃ面白くてサイコーなゲームであることは当然だとして、
なぜ『彼方のアストラ』と絡めて紹介しているのか。
このゲームは「惑星でサバイバルしながら、脱出を目指す」内容だ。
つまり「未知の惑星」での「サバイバル」の大変さ、
これを「臨場感たっぷりに追体験できる」ゲームだ。
…そう!
彼方のアストラのクルーたちが遭遇する「あの極限状態」を
「あー、こういう感じなのか…」と「なんとなく」味わうことができるのだ。
「宇宙ってコエー、スゲー」
「衛星ってカッケー」
「未知の生物とかマジむりっすわ…」
「ロマンだろーが!」
というような感情。
これを事前に追体験しておくことで、
『彼方のアストラ』を極めて現実的に鑑賞することができるようになる。
これは大げさな煽り文句でも、誇大広告でもない。
なぜなら、私自身がサブノーティカのおかげで『彼方のアストラ』を
サイッコーに楽しめているからである…!
ということで『彼方のアストラ』を見よう
サブノーティカの宣伝がしたかったわけではなく(したかったけど)
本当にしたかったのは『彼方のアストラ』が面白いよ!という話。
あと、音がすんごく良い。
効果音もBGMも、どちらも高水準。
声優の演技もいいですねえ…細谷佳正の声がいいんだ。
メガロボクスのジャンクドッグの声がすんごく良かった。
そうだ『彼方のアストラ』の監督は安藤正臣さん。
『がっこうぐらし!』の監督。
『ハクメイとミコチ』の監督もやってる。
脚本は海法紀光さん。
『がっこうぐらし!』の脚本担当。
いわゆる「ニトロプラス組」。
【感想】【書籍】『血と汗とピクセル』
◆はじめに
海外のゲーム開発事情を、開発者のインタビューや元開発者(重要)の証言を交えつつ紹介したドキュメンタリー。
『デスティニー』や『ディアブロ3』に『アンチャーテッド4』といった超有名大作から『ショベルナイト』や『スターデューバレー』のようなインディーズ作品も紹介している。(こちらも超有名だけど)
本のタイトルにもあるように、血と汗を流す悪戦苦闘の戦いの記録であり、決して華々しい成功物語ではない。
海外の開発現場について報じるウェブサイトが増えた現在では、ここだけの秘話というのは少ないかもしれないが、著名なタイトルが列挙され、順に読み通せるのは悪くない体験だ。
◆そういえば電ファミニコゲーマーの本って
電ファミは、掲載記事をまとめた書籍を販売している。
普段から電ファミを読んでいる身からすれば、いくつかの記事がまとめられたとは言え、新規情報のない本に価値があるとは思えなかった。
ただ、本書『血と汗とピクセル』が一定の売上、需要があるのだとすれば、ウェブではなく本によって情報を得る人、得たい人にとってはこういう形もアリなのだろう。
もしかしたら、本書もkotakuで掲載していた記事の切り貼りなのかもしれない。
(本書の著者はkotakuの記者)
◆クランチが始まる
本書でもっとも興味深いのは「クランチ」という言葉だ。
「クランチ」とは日本で言うところの「デスマーチ」あるいは「炎上」または両方を併せ持った言葉だ。
つまり、プロジェクトに致命的な欠陥ないし遅れがあり、それを取り戻すために「開発期間の延長」ではなく「残業」というマンパワーによってなんとかする、という勤務状態のことだ。
日本でも海外でも、ゲーム開発は困難なミッションであり、クランチは避けられない。
ただ、面白いのは本書の開発者、とりわけディレクタークラスの人間がクランチを「やらざるを得ない」というある種ポジティブな、意識的に突入するモードであるという認識を持っていることだ。
日本のゲーム開発現場ではその言葉からも分かるように「デスマーチ」「炎上」とおよそポジティブとはかけ離れた言葉で表される。
できる限り避けたいが、いつの間にか巻き込まれる嵐のような状態、それが日本における認識だ。
デスマーチは、意識的に突入するモードではない。
右往左往する上層部、コンセプト無き開発現場が、仕方がなしに突入する状態だ。
海外はクランチを「さて、クランチを始めようか」といった感じで、開発手法の1つとして意識的に突入している印象を受けた。
ここには日本と海外の開発現場の意識の違いが現れている。
意識的に選択するということは、全体像やスケジュールが掴めていて、残タスクが把握できているということだ。
日本の場合は全体像が掴めていないからこそ、無限地獄を「デスマーチ」と呼称しているのだろう。
結局クランチ=過酷な開発に突入しているのは同じだとしても、終わりが見えている地獄と、終わりの見えない地獄ではモチベーションに差がある。
ということで、やはり海外のほうが開発現場のマネジメントは優れているのかもしれない。
◆インタビューできる環境
本書は非常に羨ましい。
日本ではこういったインタビュー、ドキュメンタリーは発行されない。
プロデューサーやディレクターによる開発秘話は語られるが(それこそ電ファミで)開発の痛みについては語られづらいのが現実だ。
ユーザーは最終的なアウトプットである商品しか目にしないが、その開発現場ではひとつひとつの決断に多大な労力が割かれている。
その地獄、あるいは困難について語られることが少ないのは、非常に残念だ。
本書のインタビュワーが優れているのか、守秘義務の適用範囲が異なるのか。いずれにせよ、もっと日本の開発現場の失敗談について語られてほしい。
◆ブレスオブザワイルド
ゼルダの『ブレスオブザワイルド』はCEDECでの講演などもあり、今やもっとも成功したプロジェクトのひとつだ。
だが、過去のインタビューを見るに、その背後に心折れた開発者たちが多数いるのではと想像する。
つまり、恒常的なクランチが発生していたのでは、という邪推だ。
2Dプロトタイプを作り、効率的なデバッグ体制を作り、三角形の法則を見つけ出した…この華々しい開発秘話の裏に「全社員での1週間通しプレイ」がくっついてくる。
ゲーム開発においては当たり前ではあるのだが、全仕様を実装したところで、実際にプレイしてみないと面白いかどうかは分からない。
分からないが、それを予め想定し、最低限の面白さを担保しておくのが企画の仕事である。
ゼルダは、作る→遊んでみる→意見を出し合う→作る…を何度も繰り返したラインだと予想する。
なんとも贅沢で、無鉄砲な開発現場だ。
いやまあ、実際は「こうしたら面白くなると思うんだよね」という仮定はあったと思うが。
検証による開発。
いかにも科学的というか「開発」という感じだ。
正解の見えないスクラップアンドビルド。
開発者たちは心を折りながら試行錯誤を繰り返したのではないか。
もしかしたら、全てはクレバーに事が進んだのかもしれないが…どうにもポジティブな側面しか語られずもやもやする。
本書でもっとも面白い章は『ドラゴンエイジ:インクイジション』について語られた章だろう。
あまりに上手く行かぬプロジェクト。
開発者間の疑心暗鬼と不和、定まらぬストーリーとひっくり返る仕様の数々。
多くの開発者たちが現場を去りながら、最終的には良いゲームを完成させる。
しかし、開発体制は改善されないままだったのだろう。
やがて『 Anthem』に繋がる悲劇の芽がここにある。
もっとも読み応えのある章で、涙無しに読むことはできない。
◆総評
本書は何らか知見を得るものではない。
単なるゴシップ、趣味の悪い本である。
ただ、非常に合理的で効率的な開発運用を行っていそうな海外の開発者たちが、国内の開発者たちと同様に苦しみながらゲームを作っているという事実が、少しだけ安堵感を生むかもしれない。
◆おそらく
続刊が出るだろう。
『Anthem』はもちろん収録されるはずだ。